2010年8月9日




19:10 家を出発。

前夜twitter上で独り寂しく他のメンバーを見送った私の、待ちに待った合宿がついにスタートです。
19:24吉祥寺発の中央線東京行きの3号車に腰を落ち着け、まずは第一歩。(モハE233-46)

東京から一緒に富山に向かう一年txp氏とは20:00に新幹線中央改札待ち合わせということだったのですが、
メールをしてみるともうとっくに着いているとのこと。流石にちょっと焦りました。
東京駅にはき出されたのは20時の7分前。大急ぎで構内を移動してすぐに彼と合流しました。

txp氏の母御の丁重なお見送りを受けて新幹線ホームに二人で上がると、そこにはどこかで見たような顔が。
…今度は自分の父親でした。これはサプライズww 父に二人分の弁当を渡され、新幹線に乗車。



19:53 東京 20:12


父に見送られて我々を乗せた200系新幹線は東京駅を出発しました。乗ったのは上野に停車しない、珍しいタイプのとき347号。
越後湯沢までの停車駅は大宮のみで、これは新潟方面へのお客さんと高崎近辺までのお客さんを分離するための措置と考えられます。

お互いの差し入れをつまみあったり、雄弁部の大会の結果について話したりしていると、一時間強であっという間に越後湯沢に到着。
ここで金沢行き連絡特急最終のはくたか26号に乗り換えです。ときに乗車していた内のかなりの人が乗り換えていました。



21:23 越後湯沢 21:30


指定を取っておいた最後尾9号車のはくたかの座席に乗車。のんびり写真撮ったりしてると、7分乗り換えは結構あっという間です。
越後湯沢駅1番ホームで待っていたのは681系JR西日本車の通称ホワイトウィング。この系列の車両に乗るのは初めてです。(クハ681-6)
乗車率は8割を超えていたように記憶しています。
出発するとすぐに車内放送のチャイムが流れてきました。26号は途中停車駅が直江津・魚津・富山・高岡のみの速達タイプです。



六日町を過ぎると北越急行線へ。真っ暗なので外の景色は見えませんでした。
まぁどうせ昼に通ったところで8割方はトンネルなわけですがw
気圧がトンネルを通過するたびに変わるので、耳が痛くなりました。

美佐島・しんざ・十日町・まつだい(駅前にコンビニがあって驚きましたw)・大池いこいの森・くびき・犀潟などなど、
鉄ちゃん御用達の某ゲームでおなじみの駅を次々と高速であっけなく通過。ほくほく線の各駅は本当に短いです。
この路線を通るのは初めてで、繰り返しではありますが車窓が見れなかったのは本当に残念でした。
また今度、昼間に出直してくることにします…

犀潟からは信越本線、最初の停車駅直江津からは北陸本線に入ります。
直江津の留置線には485・115・419などの車両がいましたが、その中に京浜東北にいた209系が打ち捨てられていたのは印象的でした。
ここからのJR区間は一度急行きたぐにで乗り通したことがあり、未乗区間ではありません。
ただ、どうもこの辺りは夜に通ることが多いようですw 

直江津をでた後の途中区間は本当に真っ暗でしたが、
入善を過ぎたあたりからは街の灯りが遠目に見えてきてちょっと安心しました。最も、高速道路の明かりだったかも知れませんがw

対向列車もほとんどいない中をひた走る681系は、越後湯沢を出てから2時間も経たないうちに目的地・富山に到着。
正直言って、静音性が高く座席もゆったりしていた681系車両は、200系新幹線更新車やE2系よりもはるかに快適でした。



23:26 富山


富山では、夕方に到着していた他の部員たちが寝台特急日本海の撮影がてら我々を出迎えてくれました。某KMDを除いて…


富山の駅は新幹線工事のため、2月に来た時とはすっかり変わっていました。
まず一番の違いは上りホームが新設されて旧ホームが取り壊されたこと。
これで上下ホームが遠く離れる状況は改善されましたが、正面口からはむしろ不便になる形で統一されたことになります。
後はズラッと有人改札が並んでいた正面改札が取り潰され、新しい臨時改札が出来ていたこと、等でしょうか。
この他にも色々な変化がありました。

全員集合したところで、皆でホテルへ移動。もう市電も走らない時間だったので、
停留所4駅分の20分程度を歩き、1・2日目の宿泊先、ダイワロイネットホテル富山に無事収容されました。
ホテルに到着した段階で日付が変わったのを覚えています。

私は2年のマスカット氏と相部屋でした。彼が翌日3:50に起きる予定だと聞いて仰天。
しかし、せっかくここまで来たのだからと、私も3:50とは言わずとも早めに起きることにしました。



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8月10日その1