2010年8月10日




起床 4:10

一夜開ける前に隣人の目覚ましで起床です。寝ていられたのはせいぜい二時間少々だったでしょうか…
途中で寝ることになりそうだと思いながらも、起きてしまったのでせっかくなので床を出ます。

一緒にホテルを出たのはマスカット氏のほか、209系ファン、fukkuu268の各氏。
ケト氏は始発のサンダーバードで石動に出て特急日本海と急行能登の撮影、
マ氏とふっくー氏は高山線の沿線でのキハ58の撮影だそうで、富山駅まで出た後はそれぞれの目的地へ散って行きました。


私は特に撮影地の事前調査をしていたわけでもなかったので、
富山の駅で日本海や能登を撮りつつ他のネタ列車を待つ、というスタンスで動くことにしました。
結果的にはこの選択は大正解。朝の富山駅は、国鉄車好きの私にとってかなり嬉しい場所となってくれました。



6:00 富山駅

まずやってきたのは高山線のキハ58の送り込み列車。この車両が越中八尾まで回送して、上り列車の運用に入ります。
国鉄色のキハ58系、通称ゴハチ。この顔を見るのも半年ぶりです。

ゴハチが出た後、まだ人気の少ない富山駅構内を探索。昨日は暗くて見えなかった取り壊し中の旧駅跡に寂寞の感を覚えつつ。
お次にやって来たのは今朝の目的の一つ、寝台特急日本海。


食パン電車419系。元は583系という特急型車両だったものを、短くして普通列車用に改造した車両です。
改造していない先頭車はこちら。


475系国鉄色車。元急行形編成の475系のうち2編成しかいない、塗色が国鉄色に復元された車両の片割れ。
日もすっかり登りきった6時前、臨時化されて新潟の元ムーンライト車で走る485系能登。


475系の通称“末期色”、しかもなんと後ろにもう一編成の国鉄色を繋いでいたりする列車がきたり…。

これだけ撮っている間に越中八尾からさきほどのゴハチが帰ってきました。
予定にはなかったのですが、富山にいてもこれ以上面白いことはなさそうだったので、
折り返しの高山線越中八尾行きに乗車。



富山 7:08


私が飛び乗った列車は、富山駅の高岡線用切り欠きホームをゆっくりと出発。(キハ58-477)
相席したのは、我々の後から起きだしてきた263F・泊の両氏と、石動から戻ってきたケト氏でした。
朝の下り列車だったからか、空いていて快適だったのを覚えています。

ここ富山で、定期運用としては最後の活躍を続ける往年の名ランナー、キハ58系。
その走りっぷりは、まさしく老体に鞭打つという表現がぴったりくるような感じでありました。
ブレーキをかけるたびに車体がガタガタ揺れたのには閉口しましたね…。

西富山を過ぎると、もう景色に田んぼが現れ始めます。線路を挟んで左に田園風景、右に工場がそれぞれ広がってました。
速星・千里のあたりからは再び住宅地が広がっており、途中駅の上りホームには人があふれていました。

列車は終始ゆっくりと進み、30分かけて越中八尾に到着。




7:38 越中八尾 7:59


夏の終わりの「おわら風の盆」というお祭りで有名な越中八尾です。
改札を出て休息。木の看板を掲げた駅舎は、中々風格のあるいい雰囲気を醸しだしていました。
ここで、近くの陸橋で撮影していたマ氏・ふっくー氏と再び合流。
さきほどの折り返しのゴハチに再度乗車して、富山へ戻ります。

上り列車は、さきほどのホームの混み様から想像していたとおり、相当混雑しました。

そもそも、一度は廃車になる予定だったこのオンボロキハ58がまだ生き残って酷使されているのは、
ラッシュ時に高山線の列車を増発して通勤での鉄道利用を図る、という富山市の社会実験のために、
新型車両が足りなくなるからだそうで、傍からみた印象ではどうやらこの試みは上手く行っているようです。
このままの利用状況であれば当分はゴハチも安泰でしょうか。

撮影組は婦中鵜坂で降りてゴハチの撮影を続けるようでしたが、私はお腹も減っていたので直帰。
朝からろくに物を食べていなかったことに気づきましたw


8:35 富山 



8月09日
8月10日その2