2010年8月12日





16:40 敦賀


敦賀に着くと、隣のホームにはここではすっかり珍しくなった419系、
しかも片方の先頭車がオリジナルの編成の福井行きが停車していました。


敦賀駅の北側には交流と直流の電気の切替区間、デッドセクションがあります。
それゆえ、この駅では北陸方面からきた交直流両用列車(既にご紹介の419,475,521系やEF81系機関車など)や、
小浜線や大阪へ向かう新快速などの直流専用列車(125系,223系など)など、多様な電気形式の車両が見られます。

実は敦賀が交直流のセクションになったのは、2006年と結構最近のことなのです。それまでは、
湖西線が永原〜近江今津間、北陸線は長浜〜虎姫間(1991年以前はさらに米原方の坂田〜田村間)にセクションがありました。
直流区間が敦賀まで伸びたことで、北陸方面からの米原行が無くなり、
代わりに新快速が敦賀まで足を延ばすようになったのです。


後続の雷鳥92号に乗車して湖西線・京都方面に向かう組(たっきー、txp、209系ファンの各氏)とはここでお別れ。
パノラマグリーン、いいなぁ(笑)。乗ってみたかったんですけどね…。そして彼らを横目に見送りつつ、
私は、名古屋へ向かう青梅特快氏と共にこのまま北陸線を南下します。ここからは二人旅。




    敦賀 16:59


ここから乗るのも521系、近江今津行です。(クハ520-3)

敦賀〜新疋田といえばやはりループ線。
二人して、先頭車のいわゆる「かぶりつき」でループを堪能しました。
いい年してガキ臭いとは思いましたが、ここぞというときにはやはり抑えきれないものです。
山中を分け行く線路は風情満点でした。

列車は湖西線へ向かってしまうので、敦賀から2駅15分程の北陸・湖西両線の分岐駅、近江塩津で下車。



17:15 近江塩津 17:31


近江塩津の駅は南に集落を見下ろす位置にあります。
かくのごとき山里でも(失礼)多くの人が乗り換えのために下り立ちます。
ただ、駅舎が無人な事を考えると地元の人の利用はそこまで多そうではありませんでした。

入線してきた始発の長浜行は125系、こちらも2両編成です。(クモハ125-8)


近江塩津を出ると、というより敦賀を出てからずっとですが、
高月のあたりまでは山、山、山の連続で、ちょっとした盆地があるところに駅がある、といった雰囲気でした。
木之本はそれらの中でも比較的大きい街のようでした。



17:56 長浜 17:59


長浜では切り欠きホームの特徴を利用した同一ホーム乗り換えで、
始発の新快速播州赤穂行きに乗車(クモハ223-1009)。

この辺りは細かい乗り継ぎが続いて疲れます…
長浜を過ぎると、進行右手に琵琶湖が見え始めました。



18:12 米原 18:16


ここでもホームの端から端へ4分間という超ハイペース乗り換え。
重い荷物を抱えてのこの乗り換えは体に堪えます。

9日に直江津で入ってからずっとお世話になったJR西日本ともここでお別れ。
ここからはJR東海の区間に入ります。

米原駅の東海道本線上りホームに待っていたのは大垣行き117系。
国鉄末期に関西圏の新快速に投入され、一大センセーションを巻き起こしたこの車両、
実際に乗るのはこれが初めてです。というよりよく考えてみると、
JR東海の在来線車両に乗ったこと自体が私自身初めてでした。(モハ116-56)


関ヶ原越えは三年前に銀河で眠っているうちに通り抜けたとき以来で、こちらも実質的には初めて。

全体の印象としては、2面4線の駅が多かったな、と言うことと、
米原を出てから垂井あたりまでずっと山越えの割には、意外と田園風景が多かったな、
といったところでしょうか。米原から名古屋の間は、
新幹線が開通した後も「しらさぎ」が走ってたりするので、結構待避設備が必要なのかも知れないですね。


峠越えに際して心配していた雨もこの頃にはすっかり止み、大垣に着く頃にはすっかり日も暮れていました。



18:50 大垣 18:54


ここでもキツい乗り換え。誰だこんな乗り継ぎ計画立てた奴は(ぇ
別に乗り換え自体はさほどは辛くないんですけど、なにぶん発車間際に始発列車に乗り込むので、
先客が既に席を埋めてて座れない、ってのがキツかったですね。

大垣からはもはや東海道のエースとなりつつある313系の、特別快速豊橋行きです。(サハ313-5001)
まぁ当然ながら313系に乗ったのも初めて。乗ったのは転換クロスシート車だったので、
座れたらそれなりに快適だろうなー、とは思いました(笑)


19:26 名古屋





8月12日その1
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